「AIoT」という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。AI(人工知能)とIoT(Internet of Things)を組み合わせた造語であり、家電メーカーのシャープが、事業ビジョンとして提唱しているものです。単にモノがインターネットに接続してデータをやり取りするだけでなく、収集したデータを人工知能によって学習し、家電がより便利に賢く成長し、機器やサービスが「人に寄り添う」世界の実現を目指しています。
シャープにおいて、この家電のAIoT化をリードしてきたのが、株式会社AIoTクラウド 取締役 副社長 兼CTOの白石奈緒樹氏です。1983年にシャープ入社して以来、様々な製品のソフトウェア開発に従事し、2013年から家電のAIoT化を推進。現在はシャープ子会社のAIoTクラウドにおいて、機器メーカー、サービス事業者をつなぐ異業種間のプラットフォーム連携を推進されています。
あらゆるスマート家電をクラウドの人工知能とつなぎ、AIとIoTを組み合わせることで家電から収集したデータを顧客にとっての価値として還元していく「AIoT」というビジョンは、どのように生まれたのでしょうか。そして家電業界の未来はデータとテクノロジーによってどのように変わっていくのでしょうか。トレジャーデータ株式会社 マーケティングディレクターの堀内健后が、『データカタログ ―「人に寄り添う家電」を作るために』と題したセッションでお話を伺いました。
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白石 奈緒樹 氏
株式会社AIoTクラウド 取締役 / 副社長
1983年シャープ入社。入社以来、ソフトウェア開発に従事。OS設計を専門とし、各製品のチーフアーキテクトを担い、ポケットコンピューター、電子手帳、Zaurus、カラーZaurus Linux Zaurus、携帯電話、androidスマートフォンの開発を経て、2013年より家電のAIoT化をリード。2019年よりシャープ100%出資子会社株式会社AIoTクラウド 取締役副社長兼CTOとして、機器メーカー、サービス事業者をつなぐ異業種間のプラットフォーム連携を推進中。
製品部門が抱えていた、IoTとデータの大きな勘違い
白石氏が手掛ける「データカタログ」とは、ネットワーク家電に代表されるIoT機器から収集されるデータを体系立てて、カタログ化したものだという。ネットワーク家電からどんなデータが収集されるのかは、社外からはブラックボックス状態で誰にも明らかにされていなかった。データカタログを通じてそのデータを総覧できるようにすることで、IoT機器によって生み出されるデータをより柔軟に活用できるようにするのが、データカタログの狙いだ。
ネットワーク家電をはじめとするIoT家電の登場は今に始まったことではないが、なぜ今までそこで生まれるデータが日の目を見なかったのか。そこには「機器が収集するデータは企業秘密であるという大きな勘違い、そしてこうしたデータが社外に流出すると自社のビジネスに不利な状況を生み出すのではという恐怖心があった」(白石氏)。
ここから、シャープで「AIoT」というビジョンが生まれた経緯について語り始めた。
このような勘違いや恐怖心を生み出している前提には、組織内の構造的な課題があったと白石氏は説明する。つまり、データを活用して新たなビジネスを生み出したい人と、他社よりも競争力のある商品を開発して商品力で勝負していきたいという人の二極化が生まれていたということだ。特に、後者の人たちに先程の「恐怖心」があったと白石氏は語る。
例えば、エアコンの室外機についている温度センサー。外気温によって空調効率をコントロールすることによって省エネ性能に差が出るという今では当たり前のものだが、この機能の登場当時は外気温データを外部に公開すれば「外気温を測りながら空調効率をコントロールしている」ということが競合に明らかになり、競合にまねされてしまう恐れがある。だから、「データは出したくない」という論理になってしまう。当たり前の情報であっても、データを出せば競合他社が自社製品の性能に迫る材料になってしまうのではないかという漠然とした恐怖心があったのだ。
「そんなことあるわけない。真似たところで、商品の競争力や競争環境に決定的な影響を与えるということはない。確かにデータの出どころを辿ると性能の一部を担っているとは思うが、家電製品はそれだけではなく総合的に設計されているもの。データだけではなかなか製品の本質的な性能には迫れない」(白石氏)。
白石氏が「AIoT」のビジョンを実現するためには、まずこうした誤解を解き、製品とデータ活用の関係性を正しく理解してもらう必要があった。その作業に大きな労力を割いたという。「データを提供することによって何が起きるのか、起きないのかを製品担当者が理解しておらず、漠然と恐怖心しかなかった。データを提供したら、こうなるんだ、こんなことが起きるんだということを具体的に説明しなければならない」(白石氏)。
なぜ、このようにデータの外部提供に対して恐怖心や拒否反応が生まれてしまうのか。そこには、データを外部提供することの意義が理解されていないことがあるのだという。
「製品を作り事業を展開している人たちにとって、データを外部に提供することが事業に貢献できるものだと思っていない。役に立たない、得にならないことをやって、結果的に自分たちのビジネスが不利になる可能性を孕んでいると感じている。なぜやる必要があるのかわからないのは当然だ」(白石氏)。
ユーザー価値のない製品が、売れるわけがない
では、なぜシャープはクラウドに繋いで製品をネットワーク化し、製品から生まれるデータを活用して価値を生み出すという「AIoT」のビジョンを実現できたのか。そこには、「ユーザー価値」に対する強い思いがあったのだという。そしてこの考えに至るまでには様々な苦労があったという。
「シャープは製品のIoT化を長らく進めてきたが、最初は『とりあえずやってみよう』という考えが強かったのが正直なところだ。スマートフォンとの連携などを試みてみるが……全然売れなかった。IoT製品はクラウドを活用するため、プラットフォームの月額コストが発生する。月額コストを売り切り型の家電製品のなかに組み込むのは非常に難しい。ユーザーが長く使えば使うほどメーカーは利益を失う。できればやりたくないものであり、しかも全然売れないとなればやらない方向にしか意識は働かないのは当然だった」(白石氏)。
白石氏がシャープのIoT製品に携わるようになったのは、この“クラウドのコストをどうにかしてほしい”という製品部門からの相談がきっかけだったという。そこで、製品によってシステムやデータのサイロ化が起きている点や、ユーザーの利用が少なくシステムそのものが稼働していない状況を目の当たりにした。その背景を探ると、IoTという付加コストに見合った「ユーザー価値」が備わっていなかったのだ。
「製品をクラウドに繋いでネットワーク化してコストが上がっているのだから、その分の製品価値が上がらなければ誰も買わない。クラウドに繋いだことによる製品価値はユーザーに還元しなければならない。データがクラウドに貯まってビッグデータ化して、それで価値が生まれてもユーザーは関係ない。シャープが儲かるだけだ。ユーザーにとっての価値を高める必要があった」(白石氏)。
そこで、白石氏が目を付けたのが、「AI(人工知能)」だ。IoT機器から得られたデータをAIによって解析し、そこで得られた情報を製品にフィードバックすることで、製品がより使いやすく進化したり、次の製品開発に活かせるような仕組みを考えた。
「コンピューティングパワーとAIがあれば、商品の性能や価値が上がるのではないか。それで生まれた言葉が『AIoT』だ。データとAIによる恩恵を全ての機器に還元して製品価値を上げるという考え方で、『AIoTを活用すれば、この製品はもっとこんな価値を提供できる、性能が向上する』というアイデアを社内のあらゆる製品の担当にプレゼンテーションしていった。いつの間にか、シャープ全体としても取り組むことになっていった」(白石氏)。
ネットワークとの連携を考えなければ、家電製品は次の時代に進めない
AIoTという考えによって社内の製品開発の方向性がまとまった一方で、ネットワーク家電は専門知識を必要とする場合もあり、家電製品を利用するユーザーの中でも主婦や高齢者などにとってはハードルが高いという課題もある。画面は小さく、パソコンやスマートフォンと比較してもUIは非常に限定的だ。
白石氏によると、当初は取扱説明書やチラシなどを製品に封入して利用を促したが、実際の接続数は増えていかなかったという。そこで、同社の調理家電「ヘルシオ ホットクック」では、製品の音声案内機能を使い、「私をネット接続してくれたらこんなことができる」という紹介をユーザーに音声で行った。
「接続方法がワンタッチなのは当たり前で、それだけではダメ。繋ぐと何ができるのかをユーザーにプレゼンテーションしなければならない。また、ユーザーがネットに接続しようとすると名前やメールアドレスなど可能な限りの情報を取ろうとしがちだが、それもやめて『繋ぐということに徹底する』というアプローチをとった」(白石氏)。
その結果、10台のうち1台(1割)が繋いでくれればいいというネットワーク家電の定説を覆し、「ホットクック」のネットワーク接続率は7割(※1)を超えている。そこには、新しい料理のレシピが増やせるという商品をネットワークに繋ぐ価値が明確であることと、その価値が、商品そのものが本来持つ価値と同等になっていることが要因となっているのだという。
※2019年度10月~1月に実施した「スマートライフ家電キャンペーン」における対象期間・対象機種における実績 |
「シャープの家電=ネットワークに繋がる が当たり前になってくる。エアコンはハイエンドからエントリーまで全てWi-Fiに接続できる。他の機器もハイエンドから順次ネットワーク化している。そうすることによってAIoTの価値を多くのユーザーに感じてもらえるのではないか。ひいてはシャープのネットワーク家電全体の評価も形成できてきている」(白石氏)。
なぜ、シャープはここまでネットワークを活用した家電の普及に注力しているのか。製品が増えれば増えるほど、そして普及・利用が進めば進むほどネットワークやクラウドを維持するコストは膨れ上がる。そのコストを割り切ってもネットワーク家電の普及の手を止めない背景には、「そういう考えを持たなければ家電製品が次の時代に進めないという意識がシャープのなかに強くある」と白石氏は説明する。
「シャープは8K+5GとAIoTで世界を変えていくというスローガンを掲げている。家電を次の時代に進めるためにはAIoTは絶対に必要なんだという思いを込めている。だからこそ、(コスト負担があっても)やれている。個々の事業の収益性だけを見ていたら、絶対に実現できないことだ」(白石氏)。
家電業界はこれからどこを目指すべきなのか
現在、AIoTクラウドはシャープから独立した会社として、メーカーの垣根を超えてAIoTのプラットフォームを形成しようとしている。「シャープはPDAの時代からコンピューティングをやってきた。様々な手段を活用して家電にとって最適な進化とその手段を考えることができる。それを他のメーカーにも同じように提供することで、家電業界全体の進化を推し進めて、新しいビジネスを生み出せる」と白石氏は語る。業界全体がネットワーク家電に舵を切り始めることで「ネットワーク家電のシャープ」という存在感を一層高めていくのが狙いだ。
一方、AIoTクラウドが独立した現在、シャープ製品のAIoTは各製品部門が考えているのだという。現在ではデータを扱いネットワークにつなぐことで生まれる付加価値を各部門が見据え、競合他社も家電のネットワーク化を進めるようになったことで、シャープ自身が自分たちの価値を評価できるようになってきたのだそうだ。「シャープの各事業部門が『次にどこに向かうのか』が少しずつ見えるようになってきたのではないか。それが他社に対する大きなアドバンテージなのではないか」と白石氏は語る。
「家電はネットワークとつながることで大きく変わろうとしている。これまでは私たちが“こうしたらいいのでは”と言ってきたところが、製品部門から“自分たちはこうしたい”という声が挙がり始めている。自立していくと、家電製品はネットワーク、クラウド、サービスも含めて自分たちの製品価値だと認識された上で設計されていく時代。こうした変化をシャープが率先して切り拓いていければ、業界におけるシェアもさらに高めることに直結するのではないか」(白石氏)。
最後に、これからの家電業界の進むべき方向性について聞いた。白石氏は「業界全体がネットワーク、クラウド、サービスとの連携を意識する方向に向かってくれれば」としつつ、いわゆるGAFAのような巨大プラットフォーマーに対抗できる強い意識をもった製品づくりを目指すべきだとまとめた。
「海外の巨大プラットフォーマーたちは自分たちのサービスをデバイスに組み込んでいきたいという意識が強い。それを甘んじて受け止めてしまうと、それを組み込んで実行できる家電製品ならばなんでもいいということになってしまう。機器をネットワークにつないでサービスと連携するところを人任せにしてはいけない。自分たちで考えて、どうすれば製品が良くなるかを自分たちでフィードバックしなければならない。そうすることで次の一手が見えてくるはずだ。すでにあるプラッフォトーマーに飲まれてしまえば、製品の意義はあっという間になくなってしまう。我々はスマートフォンでそれを経験した。同じことは繰り返したくない。
家電製品には、文化・地域の違いといった多様性がある。日本の社会、家庭からのデータ、情報をサービスとしてフィードバックしながら、安心安全で効率がよく少子高齢化にも対応できる仕組みを作っていかなければならない。いつかプラットフォーマーもこの多様性に対応できる時代が来るかもしれないが、そこまでの間は、日本の産業は新たな価値を生み出し続けながら走ることができる。私達はプラットフォーマーに飲み込まれないように走って、次の世代にバトンを渡さないといけない。次の世代はしっかり育っている。」(白石氏)。