ヤマハ発動機が取り組む世界の顧客とつながる新たな体験創造
リアルとデジタルの境界を越え、企業と顧客による双方向のコミュニケーションが可能になっている。顧客体験の向上に向けても様々なアプローチがあり、ヤマハ発動機はコア事業であるランドモビリティ(オートバイ)市場において、製品を利用するだけでなく、ヤマハらしい顧客体験を提供するためのモバイルアプリを開発し、グローバルかつ数百万のユーザーに届けている。エンゲージメントの持続的な向上に向けた取り組みは、製造業はもちろん、多くの事業者にとっても参考になるはずだ。
【この事例のポイント】
・製品を使うことによる走行体験だけでなく、その前後を含めた顧客体験の向上、ヤマハブランドのファンになってもらうエンゲージメント施策が求められていた。
・顧客情報基盤として導入されていたTreasure Data CDPのデータを活用し、2つのモバイルアプリを開発。グローバルに展開しながら、短期間で数百万登録を実現した。
・グローバル本社主導でガバナンスを効かせ、世界の各拠点の声も吸い上げ、それぞれに最適化した施策を打ちやすいような体制づくりを強化している。
<登壇者>
ヤマハ発動機株式会社
ランドモビリティ事業本部 LM戦略統括部 統合戦略部
LMつながる推進グループ/マネージャー
山田 宗幸氏
日本アイ・ビー・エム株式会社
IBM コンサルティング事業本部 オートモーティブ・サービス事業部
アソシエイト・パートナー
天野 憲一氏
<目次>
- 車両、そして顧客をつなぐ2つのモバイルアプリを展開
- Treasure Data CDPを使い、短期間で世界に浸透
- グルーバルに広がる拠点に根差したマーケティング
- データ活用でエンゲージメントを高め、UXからCXへ
車両、そして顧客をつなぐ2つのモバイルアプリを展開
ヤマハ発動機(以下、ヤマハ)のランドモビリティ事業本部は「陸を走るモビリティ(移動体)」を主に扱う事業部である。中心は、グローバルブランド「YAMAHA」のオートバイだが、ほかにも電動アシストサイクル、4輪バギー、電動車イス、スノーモービルなど、生活やレジャーの「足」となるプロダクトが揃う。オートバイの世界シェアは約10%となっており、販売、売り上げの比重が最も大きいのはアジア圏だ。
プロダクトの開発・販売がコア業務なのはこれまでもこれからも変わらないが、持続的な成長を実現するために重要になるのは、顧客との関係強化、そして深化による顧客体験の向上だ。それは会社全体の方針でもあり、DX戦略「Business First」では「ブランド価値を高め、生涯を通じたヤマハファンを創造する」と掲げている。
DX戦略は「Y-DX1(会社を変える)」、「Y-DX2(顧客との関わりを変える)」、「Y-DX3(未来を変える)」、大きく3つのフェイズで構成される。山田 宗幸氏が所属する「LMつながる推進グループ」は、既存事業をデジタルで強化し、「今を強くする」ことを目的とする「Y-DX2」を担う組織だ。具体的な取り組みは「つながる推進」というグループ名に明確に表れている。
「戦略キーワードは『コネクティビティ』で、その目的はデジタルテクノロジーを使い、お客様とより深くつながり、顧客体験を向上させること。既に具体的なサービスとして2つのモバイルアプリを提供しています。1つ目が『Yamaha Motorcycle Connect(Y-Connect)』と呼ばれるアプリです。これは、バイクライフをより快適・充実させるための専用アプリで、 情報交換を担う「CCU(Communication Control Unit)」が搭載されている車両とペアリングすることで、バイクライフに役立つ様々な情報を得ることができます。もう1つが『My Yamaha Motor』です。こちらはお客様と深くつながり、主にアフターサービスの利便性を高めることで、エンゲージメントの強化を狙っています。この2つのサービスを企画、開発、運用するのが私の所属するグループのミッションです」(山田氏)
背景には「移動に留まらないサービスを通じて、お客様の夢実現を叶え、感動を共創し続ける」という思いがある。代表的なプロダクトであるオートバイに乗っているときの体験はもちろん、デジタルテクノロジーの活用によって、乗る前も、乗った後も顧客と接点を持つことで、企業ミッションである感動創造の最大化を目指しているわけだ。
提供するアプリを2つに分けたのには理由がある。Y-Connectは車両のIoT化であり、車両にひもづけてグローバルに展開しやすい。一方、My Yamaha Motorは人にひもづき、各地域拠点のマーケティングにも関わる。このため同じスピードで2つのアプリを展開するのは難しいと判断したのだという。
Treasure Data CDPを使い、短期間で世界に浸透
この2つのアプリをローンチしてから約4年。現在は50カ国以上に展開し、総ダウンロード数700万件登録数約600万人となっている。1つのモバイルIDで、ここまで短期間で浸透するケースは多くない。その理由として山田氏は3つのポイントをあげる。
1つ目は、コネクテッドアプリ開発を事業戦略と位置付け、ランドモビリティ事業部内にチームを立ち上げたことだ。これによって、顧客ニーズの変化に合わせたスピード感での開発、運用が可能になった。
2つ目は、特にY-Connectで、グローバルモデルであるプロダクトと合わせたアプリ展開を行ったこと。商品企画・設計と連携しながらアプリを開発し、ワンアプリで各国共通で展開することで短期間でのグローバル化が実現した。
3つ目が、グローバルで統一されたID・顧客情報基盤の活用だ。「グローバルで統一されたY-IDがあり、そこにひもづくようにコネクテッドアプリを開発しました。また、顧客情報基盤として、Treasure Data CDPがIT本部主導で既に導入されており、このシステムをグローバル標準として利用することが決まっていました。顧客データ基盤の上に新しいサービスを実装する形をとったことも、短期間で世界に広がった大きな要因だと思います」(山田氏)。
こうして短期間でアプリを浸透させることができた同社だが、実はランドモビリティ事業本部も、LMつながる推進グループも、ITやデジタルテクノロジーのプロではない。山田氏自身も、入社後は車両設計や開発に携わっていたエンジニアであり、プロダクトのことは熟知していても、アプリ開発や運用の経験があったわけではない。
こうした局面ではパートナーの存在が大きな意味を持つが、このプロジェクトでは日本IBMがその役割を担った。
ヤマハの持つ技術力、企画力、顧客・販売店を含めた車両ビジネスへの理解。そこに日本IBMが持つDX推進、先進的なコネクテッド領域での支援実績をかけ合わせることで、実効性のある施策がスピード感を持って実行できたわけだ。
日本IBMの天野 憲一氏は、これに加え「ビジネス・アプリ・データの3領域でトータルに支援できたところが大きい」という。
「デジタル施策となると、どうしてもIT関連部署の存在がクローズアップされますが、今回は3つのチームで進めようと当初から話していました。1つ目はヤマハさんが元々持っている技術、リソースを軸にしたサービスの企画チーム。2つ目はTreasure Data CDPを含め、テクノロジーを活用したアプリ開発と導入を担当するチーム。そして3つ目が、データ分析と活用を担うチームです。特に3つ目のデータ活用と分析が重要で、企画・開発・導入で終わるのではなく、お客様に提供し、そこからフィードバックを受け、PDCAを回しながら事業として洗練させていく必要があります。この3チーム体制をしっかり構築できたところも、短期間にグローバル展開するための支えになったのではないかと思います」(天野氏)
また、この3チームは山田氏が所属するLMつながる推進グループ内に集約されており、「旗を振るだけでなく、実際に手を動かして実行する部隊を同じ事業部内に持っているのも重要なポイントでした」と山田氏は振り返る。
グルーバルに広がる拠点に根差したマーケティング
2つのモバイルアプリはグローバル本社主導で展開し、ID、Treasure Data CDPで統合されたデータ基盤を使うことで、走行時間、距離などのデータ収集を効率よく行えるようになった。そのデータを基に新たな開発、アフターサービスなどに活用する体制が構築できたのは非常に大きな意義がある。
一方で「リリース後に見えてきた課題もあります」と山田氏は語る。1つは、本社主導によるグローバル展開の裏返しで、海外を含めた全顧客の要望に応えたサービスのパーソナライズを、スピード感を持って実行・継続させるのが困難なこと。グローバル共通の価値創造にリソースを割いたため、地域に根差した地域のためのコンテンツ開発やコミュニケーションが不足していることはその一例だという。
また、My Yamaha Motorに関しては、グローバル展開が十分に進んでいないという課題もある。「Y-Connectによって、走行体験を高めるサービスは提供できても、乗る前、乗った後、さらにプロダクトから離れている時間を含めて、トータルでの顧客体験向上は十分に提供できていないと感じていました」と山田氏。そこで同社では拠点のごとのマーケティング、パーソナライズに日本IBMとともに取り組んでいるという。
「まず、グローバルの各拠点から意見を吸い上げて、ガバナンスを効かせるための本社の運営体制を強化。その上で、グローバルで運用するプラットフォームに、コネクテッドアプリのベースとなる機能・サービスは本社主導で、共通化した上で提供します。共通化された機能・サービスを選択・活用しながら、拠点ごとに最適化したマーケティングやパーソナライズを、それぞれの拠点主導で行えるようにしていきます」(山田氏)
例えば、インドネシアの市場動向、ユーザーニーズは現地拠点が熟知している。グローバルで共通化した機能・サービスをベースにしながら、現地に合わせた施策は、プラットフォームにある機能やサービスを組み合わせながら、現地拠点に実行してもらう。それによって、より深く各市場に根差した施策を行い、顧客体験を高めようというわけだ。
データ活用でエンゲージメントを高め、UXからCXへ
これによって、具体的にどのような変化を狙っているのか。それはおおよそ図1に示す通りだ。これは横軸で時間、縦軸にエンゲージメントの高低をあらわしたもの。「これまでも、良い顧客体験を提供してきた局面はあったはずです。しかしそれらはあくまでも点であって、線としてつながっておらず、エンゲージメントを高められなかったのでは、と考えました。そこで最高の走行体験を届けながら、その体験を閉じたものではなく、友人や知人とシェアしたり、拠点のディーラーや販売会社と密接につながったりすることで、体験に新たな価値をつけていく。デジタルを活用しながら、点となっている個々の体験を線でつなぎ、ヤマハのお客様全員の顧客体験を向上させる。こうやって、エンゲージメントを持続的に高めていきたいと思っています」と山田氏は言う。
図1 データ活用により、顧客それぞれの状況をとらえた施策を、適切なタイミングで実行することで、深く幅の広いコミュニケーションが可能になる。エンゲージメントを持続的に高めることで、長く愛用してくれるヤマハファンの醸成を目指す
オートバイは耐久消費財であり、不慮の故障に見舞われるケースもある。ただ、現在はIoT化によってある程度捕捉できるようになっており、定期的なメンテナンス連絡、故障の際の対応など、各拠点のサービスの品質を高める努力も継続して行っている。デジタルとリアルを組み合わせることも、エンゲージメントを高めるには欠かせないポイントだ。
「本社と国内、国外を併せた拠点でパーソナライズされたサービスを推進し、顧客体験の深さを追究しながら、オートバイなど製品の利用体験から、ヤマハのすべてのプロダクトの接点における体験へ。つまりUXからCXへと広げることで『ヤマハらしい顧客体験』を提供していきたいと思います」と山田氏は既にこの先を見据えている。